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シドニー・スミス (軍人) : ミニ英和和英辞書
シドニー・スミス (軍人)[ひと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 
軍人 : [ぐんじん]
 【名詞】 1. military personnel 2. soldier 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

シドニー・スミス (軍人) : ウィキペディア日本語版
シドニー・スミス (軍人)[ひと]

サー・ウィリアム・シドニー・スミス(Sir William Sidney Smith、1764年6月21日 - 1840年5月26日)は、イギリス提督バス勲爵士(KCB)。通常はミドルネームによってサー・シドニー・スミスとして知られる。ナポレオン・ボナパルトをして「わが運命を失わしめた男」と言わせた。
== 初期の経歴 ==
シドニー・スミス(自分自身いつもこう名乗っていた)は、陸海軍の軍人を輩出する家系に生まれ、ピット家ともつながりがあった。近衛大尉ジョン・スミスの次男としてウェストミンスターで生まれたシドニー・スミスは、1772年までトンブリッジ校に通ったあと1777年イギリス海軍に入隊し、アメリカ独立戦争を戦った。1778年にはアメリカのフリゲート「ローリー」との戦闘を経験した。
1780年1月、サン・ヴィセンテ岬の近くで行われた海戦(サン・ビセンテ岬の月光の海戦)にロドニー艦隊に属して参加したシドニー・スミスは、そこで示した勇敢さのゆえに、9月25日、必須条件である19歳に満たないにもかかわらず、74門3等級戦列艦アルサイド」の海尉に任命された。
スミスは1781年チェサピーク湾の海戦トマス・グレイヴズ提督指揮)と、それに続くセインツの海戦ジョージ・ロドニー提督指揮)で頭角を現し、その結果として最初の指揮艦であるスループ「フュリー」を与えられた。より大きなフリゲートの艦長にも速やかに昇進したが、1783年ヴェルサイユの講和の後は、半額給の休職とされた。
平和な時期、スミスはフランス旅行を行い、新しいシェルブール軍港の建設を観察するなど、初めて情報問題に関わった。また、やはり仮想敵であったスペインモロッコにも足を伸ばした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シドニー・スミス (軍人)」の詳細全文を読む




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